子供の頃、映画は恐怖だった
大分の劇場で『ポセイドン・アドベンチャー』『大地震』『タワーリング・インフェルノ』を見た。『ジョーズ』『オーメン』『エクソシスト』『サスペリア』『ファンタズム』『キャリー』は、良い意味で人格をひねくれさせた。
「『キャリー』の最後は、寿命が一年くらい縮まったと思う。」
幼少期のトラウマ、SF、SNL、モンティ・パイソン、ロードムービー、父と息子、社会不適合者、善悪、そして「倫理のピアノ線」。山嵜吾郎の映画遍歴を、娯楽として読み、データとして遊ぶ。
これは「好きな映画ランキング」ではない。何十年も映画を見返すうちに、同じ作品が別の顔を見せ、人間の見方そのものが変わっていく。その軌跡を、本人の言葉を中心に再構成した。
大分の劇場で『ポセイドン・アドベンチャー』『大地震』『タワーリング・インフェルノ』を見た。『ジョーズ』『オーメン』『エクソシスト』『サスペリア』『ファンタズム』『キャリー』は、良い意味で人格をひねくれさせた。
「『キャリー』の最後は、寿命が一年くらい縮まったと思う。」
『2001年宇宙の旅』『ブレードランナー』『月に囚われた男』『スカイ・クロラ』。人工の身体、作られた記憶、クローン、反復する人生。そこで残る問いはいつも同じだ。
考え、愛し、怖がる存在なら、それはもう人間ではないのか。
『ビューティフル・ドリーマー』『ブラック・スワン』『スイス・アーミー・マン』『エンジェル ウォーズ』。現実の足場が崩れていく映画が好きだ。
「もう、どっちでも良いか。」
『パリ、テキサス』『PERFECT DAYS』『ストレイト・ストーリー』『東京物語』。大事件ではなく、移動、食事、沈黙、風景、会話。その時間にこそ人生がある。
「人間の生活の99%は何も起きない日常なので。」
『インファナル・アフェア』『孤狼の血』。巨悪へ近づくには、外から見れば完全な悪にならなければならないこともある。そんな時、最後に頼るものは所属でも肩書きでもない。
「細いけど絶対に切れない、自分の中にだけある倫理のピアノ線。」
『ビッグ・フィッシュ』『マグノリア』『ライフ・イズ・ビューティフル』。親子の感情は、説明で理解するというより、人生のある時点から身体で分かってしまう。
「良い映画は、観る年齢によって違う面白さがある。」
分析より強いのは、たいてい本人の一言だ。映画遍歴の中で繰り返し現れた、価値判断の“原文”を残す。
良い映画ってのは、十年に一度見返してしまう。それが良い映画だよね。『エイリアン』の話。 子供の頃の衝撃だけでなく、後年になって造形や美術の凄さに気づき、何度も見返してしまう映画について。
映画なんか見やすくなんかなくて良いんだよ。『バリー・リンドン』の話。 ろうそくの光まで使って当時の空気を映し出すキューブリックの映像について。「見やすさ」より、その時代の部屋の空気を見せることの方が大事だと語った。
人間の生活の99%は何も起きない日常なので。ロードムービーの話。 ヴェンダースやジャームッシュ、小津安二郎など、事件よりも移動や日常の時間を見せる映画をなぜ好きなのか、という流れで。
細いけど絶対に切れない、自分の中にだけある倫理のピアノ線。潜入捜査・犯罪映画の話。 『インファナル・アフェア』や『孤狼の血』のように、巨悪を掴むため自分自身も悪の側へ深く入り込む人物について。
どっしり安心してお約束を見る。全く読めない不安感を楽しむのと同じくらい好き。「テンプレ」の話。 『男はつらいよ』『座頭市』『ポワロ』の安心できるお約束と、シャマランの予測不能さは、どちらも同じくらい好きだという話から。
源泉を追求し、何がそれらの根本なのかを掴まないといけない。『AKIRA』とアニメの源流の話。 新しい作品や作家だけを見るのではなく、その作り手が何を見てきたのか、さらにその源泉まで遡るべきだという創作観。
世界一セクシーな男が世界一馬鹿な映画で大見得を切るのが好き過ぎて。『デスペラード』の話。 アントニオ・バンデラスの色気と、徹底して馬鹿馬鹿しい見せ場、それでいて芯はシンプルな復讐劇であることについて。
見るべきものが沢山ある。つまんねえもん見てる時間なんか無い。未見・再見作品を掘っていた時の話。 映画史にはまだ見るべきものが膨大にあり、退屈な作品に時間を使っている暇はない、という鑑賞姿勢。
世の中が辛ければ辛いほど娯楽が必要になるんだよ。SNLとモンティ・パイソンを「エンタメの源泉」として掘っていた時の話。 人間はどうしようもなくなった時に笑うしかない。だから娯楽が生まれた、という娯楽観。
エンタテインメントなんか全部嘘なんだから。「娯楽に正しさを求めるのか」という話。 映画もゲームも虚構だからこそ、現実ではできないことをやり、人を笑わせたり救ったりできる、という考え。
権威をぶっ壊すのがメディアの役目だから。モンティ・パイソンとBBCの話。 女王まで笑いの対象にするような表現を、公共放送でやっていたことについて。
アメコミは娯楽じゃなきゃいけない。近年のバットマン映画の話。 『ダークナイト』は重くても娯楽として成立する一方、『THE BATMAN』は悲しすぎる、という比較から。
賢い人なんか居ないからな。ピーター・セラーズの『チャンス』の話。 何も分かっていない主人公より、周囲の「賢そうな人々」の方が勝手に意味を作り上げていくところが面白い、という話から。
人間より人間らしいK。『ブレードランナー 2049』の話。 レプリカントのKが、孤独、愛情、喪失、自己犠牲を通して、人間以上に人間らしく見えることについて。
映画、コメディ、ゲームを別々の棚に置かない。どれも「現実だけではやっていられない人間」が作ってきた嘘であり、その嘘には現実を生き抜く力がある。
どうしようもなくなった時、人間には笑うしかない瞬間がある。だからこそ、世の中が辛いほど娯楽が必要になる。
「もともと娯楽ていうのは人間がどうしょうもなくなった時に笑うしか無いから生まれたんだよ。」
映画もゲームも虚構だ。事実を正確に再現するためだけにあるのではない。現実にはできないことをやり、権威を笑い飛ばし、悲惨さを別の形へ変える。
「エンタテインメントなんか全部嘘なんだから。」
モンティ・パイソンが王室さえ笑いの対象へ引きずり下ろす。その大胆さを、単なる悪ふざけとは見ない。
「権威をぶっ壊すのがメディアの役目だから。」
人を救うのは高尚な芸術だけではない。映画もコントもゲームも、人間が現実に押しつぶされないための装置という意味では同じ地平にある。
娯楽は、暇つぶしではなく生存の技術でもある。
二十歳頃、レンタルビデオ店でアメリカとイギリスの二つの源流に同時に出会った。一本の作品ではなく、店にあるものを片っ端から見る。そこから映画へ、人へ、さらに派生作品へと遡っていった。
ジョン・ベルーシの侍の寿司屋で爆笑。チェビー・チェイス、ダン・エイクロイド、ビル・マーレイ、エディ・マーフィー、マイク・マイヤーズ。映画とSNLを往復して見漁った。
コントの途中に一流ミュージシャンの演奏が挟まる。SNLはコメディ番組ではなく、総合エンタメの源泉だった。
『ブルース・ブラザーズ』、『ウェインズ・ワールド』、『オースティン・パワーズ』。SNLのキャラクター、身体性、音楽、馬鹿馬鹿しさが、そのまま映画へ拡張されていく。
『ウェインズ・ワールド』最高だった。『オースティン・パワーズ』も最高。
こちらも二十歳頃。レンタル店にあるものは「とにかく全部見た」。『シリー・ウォーク』、『ラットルズ』、『リッピング・ヤーン』など周辺まで追った。
女王を2階から投げ落とす。しかも国営放送で。
ザ・ドリフターズには、SNL的な「音楽+ショー+コント」と、モンティ・パイソン的な「ナンセンス+権威破壊」の両方が流れ込んでいたのではないか。
一本のコントではなく、番組全体の構造にその二つがある。

『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』は、鑑賞体験だけで終わらなかった。後年、プロディジの初期企業Webトップ画像は、その世界へのオマージュとして作られた。
二十歳で浴びた悪ふざけが、会社を作った後まで残っていた。
当時のプロディジWebを見る ↗ジャンルでひと括りに好き嫌いを決めない。どこに「人間」が残っているか、娯楽として成立しているか、その世界に一本の筋が通っているかで見る。
原体験は小学生で見たクリストファー・リーヴ版『スーパーマン』。大人になって『ダークナイト』に驚き、サム・ライミ版『スパイダーマン』三部作を娯楽として高く評価する。一方、最近のCG過多とマルチバースには冷めている。
「大体見たけどやっぱりマンガだなあと思うな。ウォッチメンが特別枠だな。」
棒読みも、大げさすぎる演技も苦手。役所広司のように「演技していること」が消える俳優は別格。小津安二郎の、日常と移動と沈黙を見せる映画は日本映画に合っていると感じる。
『地を這う虫』の夏川結衣と吹越満は最高だった。
『ファーゴ』『ノーカントリー』『バートン・フィンク』『ビッグ・リボウスキ』『オー・ブラザー!』。さらに二十代で見た『ミラーズ・クロッシング』は「ストーリーがよかった」。2026年9月には『バスターのバラード』を見て「面白かった」。
人間の間抜けさと残酷さが、笑いと同じ画面にある。
『ブレードランナー 2049』は繰り返し見る一本。ライアン・ゴズリング演じるKに惹かれる。オリジナルのロイ・バッティと同じく、人間でない存在の方が人間性を浮かび上がらせる。
「人間より人間らしいK。」
ピーター・セラーズでは『チャンス』が特に良い。『フォレスト・ガンプ』にも通じる「何も分からない人が活躍する話」に惹かれる。
「賢い人なんか居ないからな。」
ディズニー全般への特別な思い入れはない。ただし『カーズ』と『トイ・ストーリー』だけは見てしまう。ブランドではなく、作品単位で残る。
好きな会社を見るのではなく、残る映画を見る。
『ディスクロージャー・デイ』を見ての評価。基本的には『未知との遭遇』と変わらない。しかしCGでできることが増えた分、映像が何でもありになり、かえって「非科学的」に見える。
「そもそもスピルバーグにSFを創る気など無いのだ。彼は基本的にディズニーだからファンタジーなのだ。」
劇場まで足を運ぶ必然は感じない。「Netflixで見れば充分」。ここには、SFを科学の延長として見るか、未知との遭遇をファンタジーとして楽しむかという、山嵜の明確な境界線が出ている。
以下は医学的・心理学的診断ではない。インタビュー発言を7つの嗜好軸に置き換えた、遊びの分析モデルである。狙いは「好きな作品の共通項」を見える化すること。
横軸=お約束から予測不能へ。縦軸=日常から造形世界へ。好きな映画は一箇所に集まらず、むしろ両極へ振れる。
10点満点。発言頻度と強さから作ったヒューリスティック。最大の特徴は「世界観」と「人間」が同時に高いこと。
『男はつらいよ』『座頭市』『ポワロ』が大好き。一方でシャマランも大好き。つまり予測可能性ではなく、作品が自分のルールを徹底しているかが重要。
ガル・ガドット、スカーレット・ヨハンソン、ジェニファー・コネリー、サルマ・ハエック。美しさは飾りではなく、悪夢・神話・暴力とのコントラストを作る映画装置。
高村薫、『デビル』『シリアナ』『すばらしき世界』。表面の悪人より、追い詰める構造や巨大な利害を見る。だが『イコライザー』的勧善懲悪も別腹。
「何回見たか」「何を語ったか」「創作や人生観にどれだけ接続したか」を基準に、現在のインタビューから重要度の高い作品を抜粋。ランキングではなく、脳内の棚。
約40回。マフィア映画ではなく「一番のヒューマンドラマ」。
約50回。「地獄ナウ!」。戦争と狂気の体感。
約30回。説明しすぎないことで作品は無限に大きくなる。
50回以上。ロイ・バッティは人間以上に人間らしい。
約50回。革新の本体は「これを手描きでやったこと」。
父子、偶然、壊れた人間たち。最高峰の一本。
父親に認められたい男の子。ファンタジーで親子を描く。
記憶を消しても、また同じ人に恋をする。ラブストーリーの至高。
社会に合わないことと、人間として悪いことは別。
弱者/上流というラベルをひっくり返して見る。
社会の底で、二人が戦いながら助け合う。
不器用な男たちの旅と友情。
「善は悪なしでは存在できない」。
悪に潜り、自分が何者か分からなくなる。
正義と悪の境界が濁り、自分自身まで揺らぐ。
ポップアートのような唯一無二の画。最後は泣けて痺れる。
現実が辛すぎて夢へ。最後は「どっちでも良いか」。
現実かどうか分からない毎日が無限に繰り返される。
安心安定の「テンプレ付きロードムービー」。
安心して見られる「テンプレ付き勧善懲悪」。
キレキレなのを隠して追い詰める。
シャマランは「先が見えない」のが本体。
狂人なのか、本当に地球が終わるのか分からない。
一番「手に汗握る」。単純な状況設定で緊張を持続。
人間の生活の99%は何も起きない日常。
老人がゆっくり兄に会いに行く。大事件がないことが良い。
小学生中学年で鑑賞。今もサントラを聴く。
音楽、車、若者文化、その時代の空気そのもの。
70年代ソウルとSNL。馬鹿騒ぎの芯に恩返しがある。
淡々とした日常の中に消えない問題。どの家族にもある。
父親が息子に恐怖を見せない。胸が詰まる。
もう見たくない。でも忘れられない。
「お金があればこんなものを創りたい」。
「世界一セクシーな男が世界一馬鹿な映画で大見得を切る」。
こま撮り、美術、世界観、ストーリー、全部すごい。
ヒーローが歴史を裏で動かしてきたというロマン。
取り立て人、修理工場、宇宙人。その無茶な配合が面白い。
馬鹿馬鹿しい設定が、薄ら怖い社会風刺へ変わる。
よく見返す。「人間より人間らしいK」。
何も分からない人が、賢そうな社会の中で活躍する。
「最高」。ロックとキャラクター芸を映画へ拡張。
「最高」。スパイ映画を本気で馬鹿にする。
プロディジ初期Webのビジュアルにも影響。
二十代で鑑賞。「ストーリーがよかった」。
2026年9月視聴。「面白かった」。
サム・ライミ版。娯楽としての理想形。
バットマンの面白さを決定づけた一本。ジョーカーが強烈。
「いま出てきたもの」を追い続けるのではなく、その作り手が何を見てきたかまで遡る。これは本人が繰り返し語った鑑賞姿勢であり、創作者としての態度でもある。
災害映画、ホラー、音響。怖さと大画面が人格形成。
SNL、ソウル/ファンク、パンク、アメリカ車。映画と音楽が融合。
キューブリック、コッポラ、リドリー・スコット、ギリアム、リンチ。
クローン、潜入、社会不適合、移民、貧困、見えない悪。
『The Last Resort』の白い部屋、映画制作、美術・世界観への執着。
※ 系譜はインタビュー内容を編集的に整理したもの。個々の作品の影響関係を学術的に証明する図ではありません。
記憶は芋づる式に出てくる。そこで「重要作だけ」に縮めず、ログに名前が出たものを検索できる形で残す。ここが次のインタビューの発射台になる。
出典:2026年10月9日時点の「映画遍歴」Q&A保存ログ。表記揺れは一部統合。作品への評価を示す一覧ではなく、会話で言及された索引です。